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メドピアのAIシフトと自己紹介-CEO Letter vol.2-
はじめに
CEOの後藤です。2025年1月から、社内向けのコミュニケーションのためにLetterを発信し始めましたが、同じ内容をnoteにも公開することにしました。初回なのにvol.2としているのは、先月すでにvol.1を社内に配信しているためです。これからはCxOとVPoEが、それぞれ月1回ほどの頻度でLetterを書いていこうと思っています。
この回からはじめて読む人もいるのと、2月からJoinした新メンバーが多くいるので、vol.1となる前回のLetterの要旨をはじめに書いておこうと思います。
2024年12月9日に創業20周年を迎えたメドピアは、時を同じくして新経営体制に移行しました。石見さん(Founder)が会長に就任し、私がCEOのバトンを引き継ぎました。直前期の2024年9月期は、対外的にも「構造改革期」と位置づけた1年で、この一年でメドピアはドラスティックな事業の選択と集中を進めました。創業の原点である”Supporting Doctors, Helping Patients.”のミッションに改めて深くコミットする事業体制になり、はじめて迎えた年が2025年なわけです。
こうして迎えた2025年の年始のLetterのテーマは「Shift-メドピアはこれからどこに向かうか」でした。続いて出したValues2025は「Values2025-もう一度スタートアップへ-」というテーマでした。なぜ、「Shift」や「スタートアップへ戻ること」が必要なのか。それは生成AIを中心とした技術革新が、もう産業革命と言ってよい水準で、いま訪れているからです。これほど大きな変化には、スタートアップのように融通無碍に対応できる企業でなければ立ち向かえないよね、と確信していますし、そのためにメドピアには「Shift」が必要な訳です。
この確信の内実はもっと解像度を上げていかないといけないし、走りながらの修正も必要でしょうが、大きな方向性は変わらないだろうと思っています。ただ一方で私は、この産業革命が一体どのようなものになるのか、もっと大局的に見通してみたいという想いもあります。メドピアは一人のランナーとしてこれからの激動の何年か(どのぐらい続くものかは想像できません)を走っていきますが、このLetterの中身は、同時にそれを少し突き放して観ていくその思考の軌跡が記載されていくことになるだろうと思います。
ただ今回は、まずは自己紹介からはじめても良いのでは?と、とあるメンバーから薦めて貰ったので、普段はあまり話す機会のない自己紹介からはじめてみようと思います。
自己紹介 -大学時代まで
面接や社内での自己紹介では、ビジネスキャリアの変遷だけをお話しすることが多いのですが、今回は折角なので少し遡ってみようと思います。
転勤族だったので、出身はどこですか、という問いにはいつも上手く答えられていません。大学卒業までは、東京⇒埼玉⇒名古屋⇒埼玉⇒京都と変遷していますが、一番長く住んでいたのは埼玉県の今でいうさいたま市緑区のあたりです。最近、「となりのトトロ」を見返す機会があったのですが、埼玉の家のすぐ側には、幼少期の頃はまだトトロの森のような雑木林がありました。夏になるとクワガタやカブトムシを採りに行っていたのを憶えています。名古屋に住んでいたころも、市の中心部に住んでいたのですが、古い社宅の裏には旧名古屋城の外堀が小高い丘のようになった「裏山」と呼ばれる森があり、今思うと自然の中で遊ぶことの多い、幼少期を過ごしていように思います。
中高は都内の6年制の男子校に進学。大学は京都大学に進学し6年間を京都で過ごしました。自分の中では京都が第二の故郷のような感覚があり、出張などでたまに京都を訪れると懐かしい気持ちになります。大学時代の専攻は社会学で修士まで進み、2013年に修士課程を修了しています。途中、1年弱ほど米国に留学もしたりしていました。
社会学を専攻した理由を少しだけ書いておきます。私が社会学を専攻したのは、社会学という学問に惹かれたというよりは、見田宗介という社会学者の著作に出会ったからです。歴史に残るであろう理論的な著作と、若者の人生を変えてしまうような魅力的な著作をいくつも残している思想家です。このCEO Letterの中でも、近いうちに彼の著作を2つ取り上げようと思っています。「現代社会の理論: 情報化・消費化社会の現在と未来」と「現代社会はどこに向かうか――高原の見晴らしを切り開くこと」がその候補ですが、この二冊は、AIとの共存、人口減少の世界の未来を考える上でヒントとなると考えています。ちなみに若者の人生を変えてしまうような魅力をもった著作とは、(このLetterで取り上げることはないでしょうが)「気流の鳴る音」という作品です。
自己紹介 -キャリアの変遷
大学院を修了した後、2013年4月にコーポレイトディレクション(CDI)という日系のコンサルティングファームに入社しました。BCGからスピンアウトしてファウンダーの故吉越亘氏が立ちあげたコンサルティングファームです。4年半在籍していましたが、ビジネスパーソンとしての基礎というものが私にあるとしたら、その大半はここで作られたと思っています。
少し話が脱線しますが、Open AIのDeep Research、皆さんは使われましたか?SNS上でもその衝撃を伝える人が絶えませんが、私もご多分に漏れずDeep Researchの調査の網羅性と推論の深さに驚愕した一人です。若手のコンサルタントの業務の一つは、こうしたデスクトップリサーチを徹夜しながら必死でやることでしたが(2013年当時の話です)、若手時代に私がやっていた業務のかなりの部分は、もう相当高い水準で上位互換されたことを目の当たりにしました。一方で同時に感じたことは、これをAIに任せてしまったら、コンサルタントを育てていくのは大分難儀なことになるな、という感想でした。AIの進化によって「育成」が難しくなるという問題は、すでにさまざまな場所で議論され始めていますが、非常に重要なテーマだと考えています。私自身の体験ですが、コンサルティングファームでは、新卒1~2年目の社員はプロジェクトにおいてほとんど戦力にはなりません。それでも、大量のリサーチや分析といった業務を任せることで、若手が成長する場が設けられていました。意図的に設計されたものというより、企業文化が自然と形成していた土壌だったように思います。
ひとつ例を紹介したいと思います。前職時代に「メモ」という新人に任されていた仕事がありました。このメモというのがかなり特殊なもので、普通の議事録とは全く異なり、ヒアリングした相手の発言をピラミッドストラクチャーで再構成する作業を行うことを指しました。1時間のヒアリングをすると、大体2-3時間はメモの作成に時間がかかり、1日5件ヒアリングをするとそれだけで1日が終わってしまう。今でも当時の先輩に「1回の有識者へのヒアリングメモが、そのまま報告書のスライド構成になっているように書け」と言われて途方に暮れたのを憶えていますが、2年後には実際そういうメモが書けるようになっているのです。
これはもちろん、ヒアリングをするときの質問設計からちゃんとできていないとできないことなのですが、メモ一つがきちんとかけるようになるというだけのことに、コンサルタントになるための基礎がすべて詰まっている。そして自分が数年して気づくのですが、新人が書いたメモ書きは、PJの推進上はそこまで必要ないんですね。PJを完遂するだけであれば無駄に見えることを、あえてやっている。こうした育成文化は、AI時代には、意志を持たなければ気づかない内に失われていくと思います。Deep Researchのアウトプットの方が賢いですし、3時間かけていたヒアリングの再構成はAIが30秒でやってくれるからです。けれど賢くなっているのはAIであって、それを使う側の人間が賢くなったわけではない。人間の生物としての組成が1年で変わるわけではないので、人間が成長するためにはこれからも手間暇がかかるのです。
大分脱線してしまいましたが、前職のコンサルティングファームを経て、2017年8月にメドピアに入社します。2017年当時の売上高は15億円、社員数はおよそ80名でした。最初の2年間は社長室でアライアンス推進や新規サービスの立ち上げに参画し、私がメドピアで初めて立ち上げたサービスは「CASEPEDIA」という症例共有サービスでした。残念ながら現在はクローズしていますが、糖尿病・パーキンソン病・認知症などの領域で多くのエキスパートドクターにご協力いただき、エンジニアや社内メンバーに助けられリリースに至った思い出深いサービスです。テック企業でプロダクトを作る、ということはどういうことなのかという、基礎を学んだと思います。
メドピアの中での大きな転機は、保険薬局向けかかりつけ薬局化支援サービス「kakari」をリリースしたことでした。SaaSとして0からプロダクトを立ち上げるのはもちろんこれが初めてでしたが、VPoEの保立さんや事業本部の小川さん(薬剤師)など、当時8人ほどのメンバーで作り上げました。立ち上げた当初、Bizメンバーは小川さんと私の二人しかいなかったので、リード獲得から営業、カスタマーサクセス、カスタマーサポート、ワイヤーを書き、なんならチラシのデザインまで二人でやる。EngとBizの役割分担も明確ではなく、エンジニアと一緒に加盟薬局の店舗の中で、kakariの案内や操作説明を患者さんにさせて貰う。そんな小さなスタートアップの熱狂の中で、サービスを拡大していきました。
この「kakari」から始まったサービスが、「やくばとシリーズ」へと拡大し、今のメドピアの医療機関支援PF事業の基盤となりました。2023年9月には医療機関支援PF事業の責任者のバトンを渡し、CSO(Chief Strategy Officer)としてメドピア全体の構造改革を進めることになりました。構造改革を経た今は、メドピア全体が医師・医療機関PFに注力する体制となり、私自身も医師向けの新サービスや製薬企業のクライアントと新たなサービス・戦略を考える機会が増えています。
最近の新サービスとしては、ClinPeerというがん専門医のための臨床研鑽アプリを1月27日にリリースしました。ClinPeerチームの強い想いとこだわりと、多くの先生方のサポートで誕生したサービスで、メドピアとしてこれから大切に育てていくサービスとなります。今は医師・医学生専用のサービスですが、最初の7日間はどなたでもご利用できるので、是非一度触ってみてください。
終わりに
振り返ってみると、前職での4年半、メドピアでの7年半は、何も経験のない若者に、機会提供をしてくれる会社があったから成長できた12年間だったように思います。まだ世の中に存在しないサービスやプロダクトを生み出し、持続可能な事業として成長させることに、私はいまだ強い熱量を持っています。こうした熱量が機会提供によってメドピア社内にあふれ、クリエイティブなサービス・プロダクトを通じて、事業成長と価値貢献を実現していける「土壌」を皆と作っていくことに、今、私はワクワクしています。
この新生メドピアに興味を持ったかた、是非、下記の採用ページからご応募ください。一緒にヘルステックの世界でチャレンジが出来るのを楽しみにしています。
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